いずれも「計算」ができていないので、少数の割り算をやらせてみた。
少しだけれど「戸惑い」があった。
化学や物理の計算は少数の計算、特に割り算ができないと高得点は期待できない
「理解」したからできるわけじゃない。トレーニングしないとダメです
普段やっていないことや、練習不足は本番では致命的。
例えば数学なら、教科書の章末問題のB(難しい方)が解けて、スピードがあれば共通テストでの
70点越えはは確実です。
教科書だけでは」という声があるが本当です。一生懸命勉強しているのに60点にもいかない、と言う人は「教科書」を馬鹿にしているから
英語も、自称英検2級というのに、150点もいかない。130点くらいかなと推察。
あり得ない。
2級レベルなら、悪くとも160点は取れるはず。「悪くても」です。
プライド、日本語では「矜持」は大切だけれど「見栄」は最悪。
それはともかく「塾で見栄張ってどうするの」「家庭教師に見栄張ってどうするの」
と思う、事例が今年は多すぎて「血圧」が上がって医者通いになってしまった(苦笑
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お金の無駄になっちゃうと思うんです。」
と言うので「やめたら」とも言えないので「何もしなければ後悔はしないからそうすれば」と言ったら
「いや、やることをやって後悔したいタイプなんです」
と、返事。
なら、能書き言わないでひたすらやれ、と言ってみたがまるで通じなかった。
時間の大半は「能書き」につきあわされるので、血圧が−−−
図形問題ではフリーハンドで勝手に線を引くから「定規を使わないとと、この前教えたと思うんだけど」が
カンに触ったようで「今、使おうとしていたのに先生が、先生が」と連呼し始めて閉口。
習う気があるのかな、と言うか、私はあなたのお母さんじゃないよ。
「今、やろうと思ったのにお母さんが言うからやる気がなくなった」というセリフに覚えはありませんか
鬱憤晴らしで塾に来るかな。笑うしかないけど、安くない金を払っている親の気持ちを考えると切ない。
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こういう人はたいてい授業が終わったあと、使ったプリントを「わしづかみ」みたいに
して(笑)カバンに突っ込んで持ち帰る。
復習する気がないのがすぐにわかる
次の日に目を通すだけで随分違うのだが−−−
次回に同じことをやると、前回と同じ
これを三回くらい繰り返すと本人もイライラするんだろう
これAですけど、似たようなBもありましたよね、なんだったかな−−
集中していないのが明か。覚える気があるんだかないんだか−−
細かいところに異様にこだわったりするので、こちらも血圧が上がる
現実はもっと凄い話なんだけど、一応「公」になっているので、この辺りまでか。
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一回やった問題はやらない。
答え覚えたから意味がないです」と言う
と、言いながら2ヶ月後くらいに同じ問題を出すと完璧に忘れているか、前と同じ間違いをしている
が、本人的には「初見の問題」ができないと模試や本番では通じないと思い込んでいる。
だから、次々と「初見の問題」に行く。−−−−−
そしてわからない、難しい」の連続なのだが、いくら説得してもそのまま変わらない
学習に対する考え方を変えないと、成績が急激に上がるなんてことはない。
長い間、個人指導をしてきたが、自分も含め「固定観念」から逃れられないのが人
と言うのが良くわかる。
最も、僕が言う「覚えればわかる」も「お前の思い込み」と言われれば確かにそうだ(笑
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風景もすっかりなじんできた
が、相変わらず秋になるとストレスで体調が良くない。
受験期が過ぎないと無理かな
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修理に来たのはいいが、それまで何とか映っていたのに、修理後一日で再度
電源が入らない状態。
修理屋に連絡するもほとんど無視。
態度の悪い爺の修理屋だったので余計に腹が立つが
昨今のご時世からすると、こちらは家の事情が知られているので
強い抗議は少し怖い気がする
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大学なら卒業だね。
でも、若い時と違って時が巡るのは早い。
それでも3年という月日の重さが良くわかる
30年も長野のスキー場にいたのが嘘みたいだ。
田舎では必需品だった車も今はいらない。
年齢的に返納してもいいのだが、大型と大型自動二輪が捨てられない
車はいらないがバイクを買おうと思って3年経つがいまだに買ってない
塾も開いて4年目になった。10人を超えるときついのはわかっていたがやってしまった。
それこそいい年をして経験を生かし切れない阿呆だと思った。
話は変わるが、子供の頃時分のあまりの不器用さに「大工」とか者を作る仕事には就けないと思った。
物を作れる才能がうらやましい。いわゆる「メーカーの創業者」はたいていこう言ういくつもの才能に恵まれた人かな。
昨今のパソコンやスマホにしても「物を作った人」が最初にいるので、ソフトは後付けだしね。
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僕がいたCMでおなじみの塾でも同じだが、講師の僕からは「苦笑」しか出ない
そういうことをやるのは誰かと言えば、僕がいた教室では「僕だ」
だから実態が良くわかるというか、わかりすぎる
逆転は確かに可能だ。中三の一月のテストで250/500だった子を一ヶ月で400点を超えさせた。これは今でも会社の語りぐさになっているらしくHPをみたりすると書いてある
これは完璧なまでの例外だし、伏線まである。プライバシーもあるのでそれは書かない
個人指導なので数は限られるが、逆転みたいな例はいくらでもある。でもそれは皆「伏線」がある
夢を破るわけではないが努力の限界がある。
高校生が100メートルを11秒台で走れたら確かに素晴らしいが、その程度ではインターハイにも出られないだろう。
ちなみに僕は200メートルをスパイクなし、土の200メートルトラックで25秒くらい、400は54秒くらい、800は2分そこそこで走っていたが地区大会で惨敗でした(苦笑
大学入試も同じ。駄目だろうというか99%不可能を可能にしたこともあるが、逆にA判定連発の子を東大落とした事もある
授業をしない塾」と言うのがあるらしい。僕もいわゆる授業はあまりしない。次にこうしたら」というアドバイスと「受験勉強」はこの方が効率が良いよ、というアドバイスが主
アドバイスを聞いた生徒の95%成績を伸ばす。うまくいかない人はもちろんいます。それは僕と合わないのかも知れないが、前にも書いたような一緒にいるともらい泣きしてしまうような子もいるから
アドバイスを聞かない人? 言うまでもない。
高い月謝を払ってもったいなくはないか」とはっきり言ったこともある。「他所の気の合う先生を探せば」、あるいは「親から言われて嫌々来ているだけなら止めた方が良いんじゃないか」とも言ったことがある
ひどいことを言う」と思う人もいて不思議はないが、発達障害系の僕は一度変なスイッチが入ると止まらなくなることもある
先生、変わってるよね」と高校生に何度言われたことか(笑
自分で知っている自分の「変」
閑話休題
塾は安い買い物ではないが、車や不動産と同じで高い割には情報が不足しすぎる。無料体験でもほとんど何もわからない。
冷静に見つめれば自分の目指すものは何かが見えてくるだろう。
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「いけない」と言われているやつですね。
「理解しろ」ってやつですね(笑)
僕もこれで失敗した(笑
高校までで習うことに新しいことなど何もない。疑問など持ってはいけない。
すべて覚えた上で「疑問を持つ」ようにしよう
数学の定義や定理・公式に文句をつけても始まらない。
教科書には最初に証明があるが、それはどうでもよろしい。少しできるようになって振り返れば証明もわかる。
英語も丸暗記の世界。英語が良くできる皆さんはいろいろ理屈を言うけれどきかなくて良い。とにかく単語と熟語を覚えろ。文法は後で良い。
古典も漢文も単語の意味を知らずして読めるわけがないのだ。
エジソンやアインシュタインの逸話をマジにしてはダメです(笑
極端な天才を一般例とする神経がよくわからないが、世間とはそういうものらしい。
天才などほんの一握り。僕らはたいしたことのない能力差で争っているだけだ。ならば効率的に勉強した方が勝ちだ
高校の先生などのほとんどは大学で専門課程に進む頃、いやその前の受験で自分の才能に見切りをつけている。
スポーツや音楽も同じだが、ある程度で自分の才能の限界はわかる、寂しいけれどそれが現実。一般的に見れば凄いように見えても所詮は「先生が務まる程度」でしかない。どんなに練習しても「イチローにはなれない」ことに気がつく時が来る
運良く大学教授になれたところで「ただの大学教授」でしかない。
受験用の教材を見ていると自分の博識を自慢したいのかと思えるものによくで合う。
余計な話だが、僕がいた塾でもこういう講師がでかい声で授業をするので閉口した。率直に言えば低偏差値大学の出身者ばかりだ。
スキーインストラクターをしていた頃、中途半端なやつが「自分がうまい」と思っている事実に出くわしたのと同じだ。
俺は・私は凄い」と思わせたいのだろうが言っている内容がバカすぎてうるさいだけだった。恥も知らない。
閑話休題
僕が主催する塾の合言葉は「覚えよう、覚えて、覚える、覚えるとき、覚えれば、覚えろ!」が合言葉。
知識、すなわちインプットがなければアウトプットはできません。
まず、最低限は英語も数学も何もかも暗記に徹すること
]]>教科書は簡単だったし、最初のテストでは5科目400点なんか当たり前だった頃
高一の今、それは昔の思い出。古き良き時代。
大量の新しい情報。処理しきれないという絶望感。
でも、大丈夫。6月頃には慣れてくる。
いきなり大人扱いされるのも混乱。あれほど焦がれた「大人扱い」だったのに
新しい環境では誰もが混乱する。でも、そこには既にいる「古い奴ら」。
彼らは新しい獲物をいつも探している。自分がそうされたからかは知らないが、何も知らない新人
を陥れたくてうずうずしている。
どこの世界にもいるどうしようもない連中からうまく逃げるように。
ところで勉強。
勉強と言うけれど訓練・練習です。
考える前に手を動かせ。答えを写すだけでもいいから、写すことを5回でも10回でもやれ。
初めてのことを自分でやるよりはよほど効率的。
「理解」?そんな事、初めて聞いことが解るわけないだろ。覚えるだけで精一杯だよ。
でも、できる子がいる」。そう、いるよ、確かに。でも、例えばクラスで自分だけが解らないのか。
多分、じゃなくて間違いなくそうじゃない。高校生でなくても「出来る」のは極めて数が少ない。
俺は自分のIQを知っているのでそれを基準にしていつも考えている。
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1.絶対値の定義(お約束・またはルール)
数直線上の原点からの距離を言います。原点とは0の位置です。そこからの距離を「絶対値」と定義します。なので絶対値にマイナスはありません。それ以上の意味はありません。そういう定義(ルール)です
そういえば中一の時「数直線」が何を意味するのか解らなかったなぁ^^;。そうだ数直線の説明も必要だよね。自分の経験からすると。
数直線を書きたいのだが、パソコン技術が未熟で少し無理あり。ゴメンナサイ
2.絶対値の例
|−3|=3
|−17|=17
3.文字の絶対値
|a|のはずし方
文字は説明時にはaが多用されますが、実際には何でもいいです。方程式・不等式では一次方程式などと同じxがよく使われます。覚えなくてもいいけどデカルトが創始者のようです。
文字の絶対値の場合、プラスかマイナスかが確定していないので、数字のようにはずす事はできません。プラスかマイナスかで「場合分け」が必要になります。
a>0、a=0の時は
|a|=aとそのままはずします
a<0の時は
|a|=−aとマイナスをつけてはずします。ここでほとんどの人が引っかかるようです。が絶対値にマイナスはないという「定義」通りです。
例えばa=−5だとします
|a|=aと考えてそのままはずすと
|−5|=−5
変ですね。マイナスはないはずでした。このマイナスをはずす方法は−(−5)としてやればマイナスが外れます。
つまり
|−5|=−(−5)=5
となってめでたくマイナスが外れます。これだけです、マイナス記号の意味は。
ここまではO.Kかな。
さて文字aは何でもいいと言いました。と言うことはaの中身は整式でも良いと言うことになります
数?だと|x−2|くらいしか出てきませんが、やがて|f(x)|となる長い式の絶対値も出てきます、でも「定義通り」に処理すればなんの問題もありません。
とはいえ、練習が必要なのは何でも同じ。とりあえず|x−2|をはずしてみましょう
場合分けの順番としては小さい方、つまりマイナス側からはずしていくのが暗黙の了解のようです
x−2=0となるのはx=2の時ですから、ここが境になります
x−2<0,すなわちx<2の時は、定義のように|a|=−(−a)とはずしますから
|x−2|=−(x−2)=−x+2
になります
x−2>0、すなわちx>2の時は、定義のように|a|=aとはずしますから
|x−2|=(x−2)=x−2
になります
他の分野もそうですが、数学は「定義(ルール)」の学問です。必ず定義通りにやりましょう。定義を外れるものは数学にはありません。あったらそれはもう数学ではありません。「定義・定理・公式の丸暗記はだめ」と言う言葉にだまされてはいけません。覚えていて当たり前で、覚えていなければ話にならないだけです。
受験関係の本に良く書いてある「丸暗記はダメです」、の「丸暗記」の定義がされてないことが最大の問題かも
閑話休題
次に|x−2|+|x−3|をはずしてみましょう。
後は第2部に回します
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一生懸命勉強しているのに成績が上がらない。できるようにならない
理由その一
日本社会に蔓延している「完璧主義」にはまっている。
今の自分の点数を顧みず100点勉強にいそしむ子は山ほどいる。
50点くらいしか取れないのにテスト前に「全部覚えようとする」。やめろというと必ず反論する「どこが出るかわからないんだから全部覚えないと」と。覚えられるのか、と聞くと返事は100%「無理です」。
だからやめろと言うのだが絶対に納得しない。そのくせテスト前と言いながら3時間も勉強しない。で、言い訳をする「普段はやってないけど、今度のテストではテスト前の勉強時間が違うから大丈夫」
結果は同じだ。
仕方がないので家庭教師を頼んでみたりする。
たまたまテストの十日前。一回二時間、週二で頼むとテスト前に三回できる。計6時間。
当たり前だが結構手際よく行く。中二くらいだと「爆上がり」したりする。
本人の頭にできあがる意識とは「ちょっとまじめにやれば大丈夫、学校のテストくらい楽勝じゃん」。
そして次回−−−
元の木阿弥となるのだが「おかしいなこんなはずはない。そうだ先生が悪いんだ、代えてもらおう」。
新しい先生がやってくる。何も変わらない。「テストに出るところだけ教えてくれればいいのに余計なことまで教える」という不満に変わる
また代えてみる。成績は変わらない。家庭教師に毒づくようになる。「俺の中学のことを知らないからテスト対策ができないんだ。簡単な問題ばかりやらせるけど、俺の所はもっと難しい問題が出るんだ」「ダメだ、役にたたねえ」。
と言う話は極端みたいだけど、現実はもっと凄い話がたくさんあります。
が話が違うので、それは別のところで書くかな。もう年だし、遠くへ引っ越したし誰の話かわからなくなっているだろうから。
家政婦は見た」っていうドラマがあったけど「家庭教師は見た」って書けよ、の話は昔からある。
閑話休題
講師のせいにするのはかまわない、それで自分が救われるなら、少なくとも俺は自分がどんなにあしざまに言われてもかまわない。
昨日恩ある人が、今日は面倒な人になり、明日は憎い人になる、など70年も生きていればさんざん見てきた。
「昨日皆の人気者、今日は皆の笑いもの、明日は皆の嫌われ者」は世の常だから
と、また話がずれた。
100点勉強はやめろ、と言う話だ。7割できればいい、と思って勉強すればもっと点数が上がるか可能性が高いが、完璧を目指せば5割になると思え。
ああ、できている人はいいんだよ。そういう人が「それは違う」と言い出すから世の中厄介。トップクラスの、中学や高校の勉強くらいしなくてもできちゃう人の話はしていない。
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大学受験生は、大学一年か二年くらいの子が一番なんです。つい昨日まで自分がやっていたことなので経験もありますし、その経験も新鮮なのでうちではその方針でやってます
仰天したが、かろうじてこらえ「そうですね、、そういう経験が一番役にたちますからね」とあたりさわりなく、何とか内心の動揺を悟られずに答えたが、いや、仰天などと言うものではなかった
なるほど世界はそういうものか。
確かにプロと言っても一般的には「大人」と言うだけで、学校の先生とは違い、教育関係の科目を履修してきたわけではないから、教え方がうまい、レベルが違う、とか言う話でないことは長年の経験で身にしみて知っている
だが、講師なら良いけど、教室責任者の認識としては驚くしかなかった。けれども−−−
ここだけではないのも良く知っている。ほとんどそうなんだよね。
でも、トップレベルの講師が付いたからと言って成績が爆上げする訳でもないので「売れれば良い」ので、それもあり、と思う昨今
誰が教えようと成績が上がればOKだし、逆に成績が上がらなければ「アウト
大手塾にいた頃は、9月とか10月になると「逆転」と言う言葉が宣伝で踊るようになる。でも、それをやるのは俺だったんだよね
ある程度何とかなる子もいるが、大半は一月や二月では無理。当たり前の話だけれど。
けれどその「無理矢理」も思えばそれなりにこなしたなぁ
ある意味で来る前までは無理だと思っていた大学に受かっていった子も多いからね。
受かっても名前にインパクトのある学校じゃないと印象に残らないのも確かだからね
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でも、最近じゃない。昔から読解力のない人の方が圧倒的に多かった。ネットになって自分のコメントが書き込めるようになったから「読めない人」が顕著に、多数出てくるようになったんだろう。
いや、読めない」じゃなくて「読まない人」かも
それはともかく行間を読め」という訳のわからない意見まである。
行間なんか読めるわけないし、読んだらダメだし、そういう文はいい文章とは言えない
もちろん読者を想定していて「この人の文でこう書いてあったらこう」みたいなことがわかっている人達だけに向けて書いている場合は別。
例えば埴谷雄高などはそうかも知れない
埴谷雄高ってだあれ」と思ったあなたは大正解です。往年の知る人ぞ知る有名作家だが、一般的には全く無名といいかもしれない偉大な作家です
私も死霊を持っているけれど10ページも行かずに挫折した(笑
話を戻すと、入試問題でも高校入試の問題を小六が読みこなすのは普通は無理です。 センター試験の国語を中三が読んでも訳がわからないと思う
できる子もいる」という突っ込みは入れないように。あくまで一般的にです。
何故読めないか」と言えば、答えは一つ「言葉を知らないから」。中三がセンターレベルの文を読もうとすると、読める漢字が恐ろしく少ない上に、その意味もほとんど不明のはず。
高3で読めない場合も理由は同じ。言葉を知らないかに尽きる。
「それは百害あって一利なしだ」と言ったら「それどういう意味ですか」と聞かれて困惑したことがあったが、つまりはそういうことがたくさんある。
で、何が言いたいかというと、まず読める漢字を増やせと言うこと。かけなくて良い。とにかく読めるようにしよう。それから慣用句、四字熟語、比喩を覚えなければ文は読めない。
多分その中で比喩が一番難しいと思う。
例えば「はちまきを締め直す」という表現は、確かに具体的・物理的な意味がないとは言わないが、大切なのはその表現の持つ意味なのであって「物理的」な意味ではない
文のレベルが上がれば比喩(メタファー)はもっと高度になっていく。それを覚えないと文は読めない。
が「行間を読め」と言う人達はこういうことを行間と言っているのだろうか。
国語は、いや言葉は言い方と状況で裏の意味を持つ場合も多い。
例えば私の家のリフォーム工事が当初の予定より一ヶ月以上遅れた。
私は工事屋さんに「忙しいときに頼んで申し訳ない」と挨拶をする。これを文字通りに取る人は言葉の持つ意味を取ることは不可能だろうと思う。
「本当にそう思っているかも知れないじゃないか」という反論が聞こえて来そうだが、当事者であれば「皮肉」と聞くのが当然。ビジネスの世界であればもっとそう。
もしこれが入試問題の中の一節であれば、前段までに状況が語られているだろうから「文字通り取った」ら100%間違い。そんな問題誰も作らない
行間を読め」のもう一つは「教養」の話なのかなと思う。高校生ならこれくらいの本を読んでいて当然、という前提での文の読解だから。
それでも私は「行間をよめ」と言うことがいまだに理解できない。30年近くセンター現代文を教えてきたがわからない。
私は「行間なんか読んじゃいけない」と教えてきたから
さて、話をかえてみる。以下は高校入試レベルの中の一節である。原文は金田一晴彦先生の「日本語を見直してみませんか」という本から取ったようだ。市販の模擬テストの中にあったので、中三生あるいは高校一年生にも読ませて反応をよく見た
「−−無日本では共通語と方言の違いが相当激しい。これがヨーロッパあたりへ行くと、スペイン語とポルトガル語の違いは青森県と福島県の方言くらいの違いしかない。それでも二つの国語である。ちょっと聞くと、スペイン語とポルトガル語が話せるなんていうのは、何か非常に偉い気がする。しかし本当は、青森県の言葉と共通語が話せるということは、もっと違った言葉を使い分けることができる事なのである。−−−」
実際はもっと長いが、ほとんどの子はこの部分に気を取られる。もっとも多い反応は「この筆者はバカなんじゃないの、ポルトガル語とスペイン語が同じわけないじゃん」だ。(金田一先生ゴメンナサイ)
次が「ホントかなあ、なんか信じがたいなあ」
「へえ、そうなんだ」という本来取るべき感想はほぼない。これは多分基本的な学習に対する姿勢がどこかでずれてしまっているからだろう。
国語の成績のよい子は「ああ、この人のこの文での主張ですね。本当か否かはともかくとしてこの問題を解くときにはそう考えておきます」だ。
「理解しろ」、「疑問をもて」、「丸暗記はいけない」等々、子供を惑わし、惑った子供がそのまま大人になるから文が読めるようになどなるわけがないし「自分の頭で考える」なんて事ができるわけないのである。
数学で良く言われる「公式丸暗記はダメです」と同じで、本来覚えて初めて役にたつモノを、最初から否定するのでできるはずの子もできるようにならない。
ではできるようになるには、と聞かれたら「とにかく知識を増やせ」。知識が増えてから練習すれば「これはこう読み解く」という解説がよくわかるようになる。
私はセンターの問題を質問と選択しだけで8割から9割根拠を持って正解できるが、受験の場合は文が読めるようになって、答え方を覚えれば選択肢の正解が向こうから手を上げて「俺だ、私だ」というようになると笑っていうが、何人もそういう風になった。
ついでに文がきちんと読めるようになった。
そういえば、国語のテストで国語の先生に解き方を聞いたら「傍線部のそばに書いてあるからそこだけ読め」と教えられたんですができるようにならない。という子が後を絶たないが、こんな読み方をしていたら「読解」どころの話じゃない。
「傍線部のそばだけ」は絶対ダメです。
それから文を読むスピードも大切。できれば3回、最低2回は読むこと
これも「時間がない」といういちゃもんが必ず付く。だが読書じゃなくて試験なんだから何度も読み返さないと細部が頭に入らないので、問題を解くときに考える時間が多くなって時間切れアウト。
仕事を早く片付けるためには段取りが大切だけれど、勉強も同じです
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